世の中には10年、20年と長い間いろいろな病気で悩み、苦しんでいる方がたくさんいます。病気に侵されかかっている方を加えるならば、その数はおそらく計り知れないほどの数に達することでしょう。原因がはっきりわかり、対策がきちんとしていてかならず治癒するという病にかかった人はまだ幸せかもしれません。私の場合でいうと、何度も申し上げて恐縮ですが、「アレルギー性だから治す方法がない」といわれつづけたのでした。こうした瞬間の人間の苦しみというものは実に悲しく、腹立たしく、何とも表現できぬ種類のものです。しかし、こうした“治らぬ病”に苦しんでいる人間がどれだけいるものでしょうか。
でっかい白亜のビルとかした病院やとても高価そうな医療設備を整えた近代装備ぶりを見るにつけ、「たったこれっぽちのことが治せないのか」と憤慨を感じた人間が何万、何千人といるものと思います。それに対して現代の外科治療法に目を向けてみますと、心臓をはじめとして、肝臓、腎臓などの移植手術も成功しており、その技術は神業とも思えるほど偉大な発展を遂げております。
しかし、医療のすべてがそのように発展進歩したわけではありません。内科医療のある部分では、なぜか依然として対症療法に重点を置いているようで、一時的に幹部を鎮静させるだけの域を出ていないように思われます。私はそれに長年、矛盾を感じています。ご存じのとおり、類人猿から進化した人間は火を使うことをはじめとして、農作、言語、学問を習得して地球上の生物を征服し、多くの科学を生んで名実ともに生物の王者となりました。そして、月世界までも征服しようとしている人類が、どうしたものか、押し寄せる病気に痛めつけられております。それは、なぜなのでしょうか。月世界をも征服しようとしている人類がなぜ病気には勝てないのか、私には不思議でなりません。
なぜ人類は病気に勝てないのかと考えてみますと、それは対症薬というものが発展しすぎたために幹部だけを鎮静して、根治療法というものがおろそかにされているからなのではないかと思考するのです。たとえばぜんそく患者に対する治療でいえば、対症薬であるアドレナリン、エフェドイリンを考え、また、高血圧患者に対しては降下剤のメトプロミンを、鎮静剤としてはバルビタールを投薬します。そのほかにも糖尿病の患者に対してはインシュリンを与えるという具合に、数多くの対症薬が開発され、投薬されています。それらの薬を与えられると、患者はたとえ一時的にせよ苦痛から解放されるので医師に頼ることになります。患者を診るという第一線の立場にある医師もまた、そうした便利な薬があるので根治薬というものをあえて研究することもないのです。
高血圧に苦しむ患者は一生涯、その薬から離れることはできないとされ、持病だとあきらめざるをえない状態に追い込まれていくのです。患者は医師に頼り、医師は「脳溢血になるよりはマシだろう」と投薬をつづけます。患者にもむろん責任はありますが、こうした繰り返しが行われているということは、医療に従事している者の全員の責任でありましょう。広義にいえば、現代の医療そのものの責任だと思えるのです。