Sさんのお母さんからも、お手紙を頂戴しておりますが、その中に、Z式療法45日目の模様が、次のように綴られています。 「(前略)・・・・・・私は今なお、興奮さめやらぬ今日この頃ではございます。Z式療法のおかげさまで、Sも日増しに元気になってまいりました。彼女は言っておりました。 『お母さん、私はこの頃、一服しないと帰れないの。なんの一服かっていうと、レモンスカッシュ1杯、どくどくって飲んで帰ってくるんですよ。お母さん、今日これ食べたくて買って来ちゃった』 と、うれしそうに箱を高くしてみせました。箱からケーキをだして妹たちに分けてやり、自分でも大きな口を開けてぱくつき、 『ああ、おいしい、おいしい』 そう言いながら、本当においしそうに食べている娘の姿を、私は涙なしには見ていられませんでした。Z式療法と劇的な出会いをさせていただいて、今日でわずか45日目、こちらは16年、何という遠回りだったことでしょう。悲しみにくれた涙も、今はうれし涙に変わりました・・・・・・(後略)」5月のある日、Sさんが研究所に元気な顔でやってきました。そのとき彼女は、おずおずと私の前に預金通帳と印鑑を置いて、研究の費用にでも当ててくださいと言いました。Sさんの名義の預金通帳で、額面は500万でした。お母さんと妹さんが協力してくれたということでした。私は感動で心がふるえてなりませんでした。涙があふれました。
実を言いますと、健康を回復された方がお礼だと言ってお金をおいていかれるのは、それほど珍しいことでもありません。しかしSさんの場合は、ちょっと事情が違います。症状があまりひどすぎて、私は正直、もう手遅れではないかと思いました。 「やってごらんなさい、きっとよくなりますよ」 とは言ったものの、私自身、神に祈るような気持ちでした。だからその後、予想以上にぐんぐん快方に向かったときは、ほっと胸をなで下ろし、逆に、よくぞ元気を回復してくれたと、Sさんに私のほうから感謝したいほどでした。
そんなわけで、私はSさんから、過分な謝礼をいただく気持ちはまったくありませんでしたが、どうしてもとおっしゃられるので、ひとまずご好意をお受けすることにしました。 「わかりました。有り難く頂戴いたしますが、ひとつ条件をつけ させてください。将来、Sさんが結婚なされるときに、これをそっくり、私から改めて、お祝いとしてプレゼントすることにしましょう。それまで、一時、私はお預かりいたします」
私は感動にふるえながら、こう言うのがせい一杯でした。私は美談をひけらかす気持ちは毛頭ありません。Sさんによって、私のこれからの人生にとってこの上もなく貴重な何かを、つかむことができたような気がしました。それにしても、Sさんはよく元気になってくれたものです。彼女のことを思い出すたびに、私は感動のあまり涙がにじんでくるのです。